一番綺麗な数式



  from.基山ヒロト
  sub. RE:無題
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  守。俺は怒っています。
  珍しく、本気で怒っています。
  君の少しネガティブで、自分を過小評価してしまうところ。
  君らしくて良いと思っていましたが、今度ばかりは黙っていられません。
  オレは今まで、君のペースに合わせることを考えて気長に構えてきました。
  しかし今度ばかりは思い知らせる必要があるようです。容赦はしません。
  一刻の猶予も許されないと感じたので、今から君に会いに行きます。
  念のために書いておきますが、絶対に逃げたりしないように。
  俺に居留守は通用しません。これ以上怒らせないでください。

  本当に、何をするか、分からないよ。
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 ――こえええええええええええええええええええええええ!!

 恐怖のメールが届いたのはちょうど寝入った6時間前。そして今、悲鳴につっこみを入れるように家のインターホンが鳴った。
 意味もなく携帯を何度か手にとっては机に置き。冷蔵庫を開けては閉め。ようやく心の準備ができた時、俺は死ぬ覚悟でドアを開けた。
「やあ、久しぶり」
 予想に反して、そこには機嫌のよさそうなヒロトの姿があった。
 突然の訪問を詫び、邪魔していいかと尋ねるヒロト。こうして直接会うことも久しいが以前と何も変わらない。交際当初となんら変わらない紳士的な態度に、俺はすっかり安心してしまった。
「遠慮すんなよ。あ、大したもてなしもできないけど……」
「そんなこと気にしないで。それじゃあ、お邪魔します」
 ガチャリ。
 ヒロトが器用に後ろ手で鍵をかける重々しい音。瞬間、すっと消えた笑顔の仮面。
 俺は頭に浮かんだ面々に、心の中で静かに別れを告げた。

「……守?」
「……は……は、はっ……」
「そこ、座ってくれる?」
「……はい」
 自分の部屋で、言われるままに正座で机を挟んで座る。
 何故。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。少し意識が朦朧としだして何も考えられずにいた。そんな俺にヒロトは自身の携帯電話を差し出す。それを受け取ったのはいいものの、どうすればいいのか分からない。
「それ、読んで」
大事に持っているだけの俺は、促されて慌てて画面を見る。一通の見覚えのある文面が液晶に映し出されていた。
「守、アドレス間違えたでしょ」
「……あ」

  from.円堂守
  sub.無題
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  いきなりメールごめん!
  遠距離恋愛には自然消滅っていうのがあるってさっき初めて聞いたんだ
  話を聞いてみて、初めてそうなんだって気づいたんだ
  どうしよう、俺とヒロトが自然消滅してたって、全然気づかなかった
  気づかないで何度も電話とかメールしちゃったよ!
  鬼道はどうするのがいいと思う?
  俺、謝った方がいいかな?
  それとも、もうメールとかしない方がいいのかな?
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「ごめんなさい。すみません。本当に悪気はなかったんです。申し訳ない。たいへんご迷惑おかけしました。お恥かしい限りです。あわせる顔もございません。調子にのってすいませんでした」

 ひたすら謝った。

 鬼道と基山。
 自分の携帯電話のアドレス帳で二人は並んでいた。真実を知って動揺した俺は、とんでもない凡ミスを犯したらしい。今すぐタイムマシンを探しにいきたい衝動を押さえ込み、俺は頭を床に打ちつけた。
 立ち上がり、俺の隣に座りなおしたヒロト。そのまま反応がない。俺は恐る恐る頭を上げる。そこには見たことのない顔のヒロトが居た。
「駄目。許さない」
 据わってるよ……君のその目!
「そ、そんな……!だって、俺、じゃあどうしたら……。た、確かにいつまでも恋人ヅラしてた身の程知らずだったけど……!その上世間知らずだったけども……!」
「……だ、か、ら!」

 ――最初から、別れてなんかいない!!

 今まで見た中で一番取り乱している姿。それを見て、俺は普段自分に見せない素のヒロトを感じた気がした。それも『話聞いてる?』と低い声で渇を入れられた瞬間、霧散したわけだけれども。
「本当に何年経っても、何回言っても駄目だね守は。そうか、分かった。簡単なことだったよ。結婚しよう。そうすればこんな勘違いもなくなるじゃないか」
「……あ、あはは……」
 とうとう無茶なことを言い出したヒロトに、俺は心から安堵した。
 蓋を開けてみれば全て勘違い。失恋した上にヒロトに迷惑をかけたと、散々胸を痛めつけ落ち込んだ日々はまったくの無駄になってしまったのだった。
 近年で一番大きな悩みが解決した俺は、脱力して倒れこんで。笑って。気が緩んでこっそり泣いて、

 一週間後に婚約と名のつく指輪をもらい 恋人の本気を見せつけされて卒倒することになる。


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 何度言っても伝わらないから 上手に証明する技能より、確実な証拠が欲しい
 いちばん簡単な解法でいいじゃないか
 シンプルなところが マリッジリングみたいにきれいで