円堂君は眠れない



 円堂君はよく食べ、運動し、寝る。
 バンダナのない、心弱い素の彼も基本はそうだ。気を張っているためか、疲れやすいようでよく眠る。昼間もたまにとろんとした目をしている。

 しかし時々朝方まで寝付けず、ほとんど徹夜の状態で一日の始まりを迎えることがある。

 それを知ったのはつい最近。彼と同室で寝泊りするようになってからだ。
 FFIの宿は二人部屋で、運悪く俺は彼と同室になった。本来喜ぶべき事態をそう捕らえたのは、当時俺が彼にふられたばかりだったからだ。
 更に悪いことに、ふられてすぐ、忘れられるような生半可な想いではなかった。

 心優しい彼のことだ。同じ空間に基山ヒロトと居るのはさぞ苦痛だろうに、部屋を変えるために監督とかけあおうとした俺を止めてくれた。
 とはいえ、普段なら俺は相手に気づかれないように行動する。なのに彼の前でわざとそう言った。つまりこの展開を望み、彼の行動を導いたのは俺のせいでもあるのだけれど。

 俺のせいで眠れないのか?後ろめたい気持ちを消して欲しくて、そう聞いた。そうではないと想像通り彼は否定した。嘘をつくのが下手な彼だから、おそらく嘘ではないだろう。彼の嘘はたいがいバレバレであるし、嘘をつくというよりはっきりとした返答をしないことが多い。自身の感情の機微に鈍くて気を使いすぎる彼のことだから、あまり信用はできないが。
 本当だとするなら思春期特有のものか。それとも彼の神経質なところがそうさせるのか。

 ともかく今日もその日らしい。
 夜中の3時をまわっているが、彼は相変わらずイライラした様子で布団の上で体を転がしていた。
 今回はその不眠の日3日目で、彼の体力は限界に達しているはずだ。

「眠い」

 本人いわく、眠気はいつでも襲ってくるが、結局横になっても昼や朝に寝ることはできないらしい。
 練習で疲れているだろうに。
 隈を作って小さな子どものように舟をこぎながら食事をしていた。可愛いと思う前に、不憫だった。

「眠れない……」

 今日こそは寝ようというプレッシャーが逆に寝入る行為を妨げているのだろうか。悪循環だ。

「円堂君、暖かいお茶でも飲まない?」
「……やだ」

 子どもみたいな回答がかえってきた。
 体力の限界がきて、上手く頭が働かないのだろう。俺は自分のベッドから降りて、
「ちょっと、ごめんね」
 彼の額に触れた。少し暖かすぎるが、熱はない。
 気持ちがよかったのか、手に擦り寄るように身じろぎする姿に心臓がはねる。

 ……あ、笑った。

 告白してからは、中々見れなかった姿。
 俺に慣れて信頼してくれるようになってから、ようやく見れるようになった顔。――なんだ、恐ろしく短い期間の話じゃないか。

 やっぱり、好き、だなぁ。


「ヒロト、ごめんな。俺なんかのために、こんな夜遅くまで起きてくれて。お前はもう寝ろよ」
「なんか、は余計だよ。円堂君は自分でいっぱいいっぱいで気づいてないでしょ。実は、俺はけっこう寝てるんだ」
「嘘だぁ」
「それに朝まで起きていたい気分だったから」
「……三日連続で?」

 優しい笑顔が苦笑いになった。円堂くんは枕に顔を埋めてそれを隠した。

「あのな。俺、ヒロトのそういうところさ。けっこう、好きなんだ」
「……ありがとう」






 ありがとうといいながら、ヒロトはあまり嬉しくなさそうだった。
 もしかしたら、機嫌を損ねたかなと思った。俺らしくない発言に驚いてるだけならいいな、とも思った。

 でも俺なんかが、という気持ちはいつもより小さい。寝ていないからだろうか。寝不足も悪いことばかりではないらしい。

「あのな、俺……上手くいえないんだけどさ。俺はヒロトのこと、嫌いじゃないんだよ。俺、こんなだから、上手くいえないけど」
「ありがとう、円堂君。うれしいよ」

 型どおりの御礼を言われて、苦しかった。
「違う。違う、そうじゃない」
 そうじゃない。言いたいことが伝わらない。もどかしい。とても、苦しい。

「円堂君?」

 ぎょっとしたヒロトの顔がぼやけている。

「……どうかした?具合、悪くなったの?」

 悲しくもないのに、何故か涙が出てきた。疲れているのだろう。
 目から暖かい水がぼろぼろこぼれる。みっともない顔を晒して、俺はヒロトに向き直った。

「……なんで、今更『円堂君』なんだよ」
「なんで、って。どうしたの、突然。……円堂君?」

 なんで今こんなこと話すんだよ、と自分で思った。
 しかしずっと閉めていた蓋に手がかかると、ためておいた不満がわっと溢れた。
「なんで円堂君っていうんだよ。なんで今更、他人行儀になるんだよ。嫌いになったなら、無理に優しくしてくれなくていい。辛いんだよ、そういうの。お前が優しいのは分かってるけど」
 いつもの悪い思い込みかもしれない。
 でも俺には普通と行きすぎの基準が良く分からない。だから思い込みでもなんでもなく、事実そうなのかもしれない。考えれば考えるほど、分からなくなる。

「ちょ、ちょっと待って」
「俺はヒロトの気持ちにこたえれなかったんだ。俺なんかがヒロトみたいなスゴイ奴に告白されてさ。おかしいよな。びびってさ。そっから逃げて。……それからはお前になんとなく避けられて、ああ失望されたなって分かった。このヘタレな性格のせいで嫌われたんだって。自分のせいだから仕方ないけど、それがすごく怖くて、だから」
 だから逃げたんだ。
 だって気づけば足が動いていた。嫌われてなかったんだと知って嬉しくて、それ以上に混乱して、むずがゆくて、どうしようもなくて。じっと立ってなんていられなかった。

「……逃げた?」
「でも、だって、しょうがないじゃないか。……びっくりするに、決まってるだろ!」
「ちょっと、待って。……逃げたの?俺のこと拒んだとか、そういうんじゃなくて」
「そうだよ!分かるだろ!びっくりしたんだよ、まさかこんな早く再会するとは思わなくて。そしたら、呼び方変えられて、距離置かれたから……。だから、嫌われてるのかなって思ってたら、いきなり好きって言われて。どうなってんだよ!」
「どうなってるって、言われても。だって、俺は円堂くんのことずっと好きだったし……。それに呼び方を変えたのは、俺の中のけじめで、」
「俺は嫌われたって思った!」
「それは、君の思い込みだよ……。ごめん、ちょっと待って。俺、すごいこと聞いた気がするから。すごい幸せな展開を期待しそうだから。……ひょっとして俺は、あの時ふられたわけじゃなかったの?ごめん、今すごく自分に都合のいい想像をしてるんだ、けど。じゃあ俺、君のことまた名前で呼んでもいいのかな。……それくらい、君に近づいていいのかな?君のこと、諦めなくても、」
「だから、俺は、」


 お前が円堂君って呼ぶから、眠れなくなったんだよ!


 


 目覚ましの音で目が覚めた。

「…………ああ」
 夢。

 目の奥が重い。だるい。眠い。寝たりない。
 しかしもう寝付ける気がしない。朝日が体を起こしてしまった。

 結局、いつ寝たのだろう。
 鉛のような体を動かして目覚ましに手を伸ばすと、知っている手がアラームを停めた。

「あ」
「起きた?ずっと鳴ってたよ。おはよう」
「……ヒロト」

 結局あれは夢なのか現実なのか。半分寝ている頭がすっと覚めたが、混乱が加わって結局判別がつかない。
 気まずくて、視線を合わせないまま目覚まし時計を受け取った。

「あ、ありが、」

「あのタイミングで寝るんだから」

 視線を上げれてみれば、ヒロトは最近見なかった顔をしていた。
 俺を見る瞳に浮かぶ色が甘い。それがあんまり優しいもんだから、胸の奥がジリリと痺れる。


「好きだよ、守」

 呼ばれて、俺はようやく目が覚めた。


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  『円堂君』じゃ、眠れない